ミュンヘンday3(ダッハウ強制収容所、アリアンツ・アレーナ)【ヨーロッパ旅day30】

2024年7月9日

ミュンヘン3日目です。

昨晩もPodcastを聞いて夜更かししてしまい、今朝は遅くまで寝ていましたが、寝ている中、朝9時頃に部屋をノックする音とともに「Housekeeping!」と言いながら係の人が部屋に入ってきて掃除を始めていました。「流石に早すぎでしょ笑」とも思いつつ、掃除自体はすぐに終わったので、その後も二度寝し、起きたのは午前11時。

身支度をして、12時過ぎから外出しました。今日は天気が良く、日差しが強くてとても暑かったです。後で調べると、この日の最高気温は30度だったようです。

熱中症にならないように、外出してからすぐに水を買いました。

歩いてミュンヘン東駅に行き、交通の1日券を購入。地下鉄に30分ほど乗って、ダッハウというミュンヘンの隣町に行きました。ここはかつてダッハウ強制収容所があった場所です。

ダッハウ駅からバスに乗って10分ほど移動し、ダッハウ強制収容所記念館へ向かいました。バスの中は記念館へ行く人たちでいっぱいでした。

ダッハウ強制収容所記念館に到着。

敷地に入ってすぐのところにインフォメーションセンターがありました。記念館自体は無料で入られますが、音声ガイドはここでレンタルできます。事前に旅行雑誌で調べた時には日本語の音声ガイドは無いとなっていましたが、今回行った時は日本語の音声ガイドもあり、4.50ユーロでレンタルしました。インフォメーションセンターには他にもカフェや、書籍も多くおいてあるショップもありました。

インフォメーションセンターを後にして進むと、すぐに鉄格子のついた門がありました。ここから先が強制収容所として使われていたエリアです。

中に入るとまず広い敷地があり、ここは囚人の点呼を行っていた場所のようです。

 

その右手には司令室があった建物、

左手にはかつては囚人が寝泊まりしていたバラックが並んだ場所で、現在はその土台だけが残る広い敷地が広がっていました。

かつての司令室は現在は博物館になっており、展示の一つとしてドキュメンタリー映像を定時で上映しているようでした。

言語は英語、ドイツ語、フランス語で時間ごとに分けて上映しており、一番わかりそうな英語版を見ようと想いましたが、最終が14時ですでに上映中だったので見ることができませんでした。15時半からのフランス語版を見ることにし、それ以外のエリアを見て回ることに。

博物館の目の前には収容所記念碑がありました。まるで有刺鉄線に絡め取られた囚人たちを表現しているようでした。

その後、囚人が寝泊まりしていたバラックのほうに行きました。現在建っているものはかつてのバラックを復元したもののようで、中に入ることもできました。

中に入るとすぐに木造のベッドがあり、狭いスペースに複数人が寝ていたことがわかりました。

奥にはシャワー室やトイレもあり、特にトイレの間隔の狭さに驚きました。

バラックは現在2つだけ建てられており、これ以外のバラックがあった場所は、現在は土台だけが残っていました。一つのバラックが100m×10mの広さで、左右対称に敷地の奥の方まで並んでいました。

この収容所に収容できる人数の想定は6,000人だったようですが、戦時中に人数が増えていき、戦後に解放された時は3万人が収容されていたとの事です。人が増えたせいで食料が足りずに栄養状態が悪化し、衛生環境も悪くなって感染症も流行していったとのことでした。

バラックの真ん中にある通りを歩いていくと敷地の後方には戦後に作られた教会がありました。プロテスタントの教会やユダヤ教の教会、ロシア正教の教会など複数の種類の教会があったことが印象的でした。

教会の一つでは、現在も収容所で亡くなった人たちへの祈りが捧げられており、行ったときはまさに修道女さんたちが祈りを捧げているところでした。

15時半のドキュメンタリー映像の時間が近づいてきたため、資料館へ行きました。

ドキュメンタリーでは、当時の写真や映像を使ってこの収容所の説明をしているようでしたが、フランス語だったのでやはり内容はあまり理解できませんでした。しかし戦後に収容所が解放された時の映像では、収容所内や囚人を運んでくる列車の中などに多くの遺体があるのが映っており、本当に心が痛みました。

第二次大戦の終盤でドイツが負けそうになっている時、ナチス・ドイツは囚人の解放を避けるために、国の周辺部にある収容所にいる囚人たちを内陸にある収容所へ移動させたようで、このダッハウ強制収容所にも多くの囚人が送られてきたようです。しかし、その人たちもすでに飢えや病気で衰弱していたため、列車で運ばれている最中に亡くなってしまったため、遺体がそのまま列車に置かれたままになったとの事でした。

これとは別にダッハウからアウシュビッツへの移送もされていたようで、その先での出来事を想像するだけで大変辛かったです。

ドキュメンタリー映画が終わると、17時の閉館まで1時間を切っていました。最後に広い敷地の端にある、特殊なバラックがある場所へ。

ここは「バラックX」と呼ばれた建物で、他のバラックとは異なり、中にはガス室や焼却炉がある建物でした。実際に中に入ることができ、説明書きを読みながら部屋を進みました。囚人はまずは最初の部屋で服を脱ぐように言われ、

その後“シャワー”という名目でガス室に入れられていたとの事でした。

ガス室には1回に150人が入ると書かれていましたが、実際にガス室に入ってみると部屋はとても小さくて驚きました。

その先には焼却炉があり、一つ一つの炉は大きく無いのですが、説明書きには一つで2-3人を焼却していたとのことでした。

閉館の時間になり、資料館まで見ることはできませんでした。全てをじっくり見るには5時間くらいかかるかなと思いました。

ダッハウ強制収容所記念館を後にして、来た時のようにバスに乗ってダッハウ駅まで移動し、そこから電車に乗ってミュンヘンの街中へ行きました。

続いて、街中からミュンヘンの北東にある、アリアンツアレーナというサッカーのスタジアムへ行くことにしました。というのも今夜はEUROのスペイン対フランスの試合がそのスタジアムで行われることになっており、チケットは買っていませんでしたが、スタジアム周辺の雰囲気だけでも味わおうと思い、行ってみることにしました。スタジアム行きの電車に乗ろうと思って目的の鉄道に向かうと、駅のホームには多くのサポーターが待っており、到着する鉄道もギュウギュウ詰めになっていました。

この様子を見て、行くのを少しためらいましたが、意を決して電車に乗り込みました。20分ほどでスタジアム近くの駅に到着。

駅からスタジアムまで1kmもあり、最初はなんて不親切な作りなんだと思っていましたが、実際に駅からスタジアムまで、多くのサポーターたちの賑やかな雰囲気の中を歩いていると、この長い道のりも気持ちを盛り上げるのに役立っているんだなと思いました。

スタジアムの手前まで行くことができ、ここで記念に写真を撮りました。

スタジアムへ入っていくサポーターを見送りながら、ここを後にしました。最寄りの駅で次の電車の時間を見ていると、僕が時々YouTubeで見ているサッカージャーナリストの方がそこにいて驚きました。

電車に乗ってホテルへ帰ることに。ミュンヘン東駅に着き、一昨日も来たケバブ屋さんで今回も同じチキンのドネルケバブを買い、ホテルに戻って食べました。

食べ終わると、EUROの試合が見られるところを探し、ホテルの隣のバーで見られるようだったので飲み物を注文して席に座りました。

試合は早めにフランスが一点を決めましたが、すぐにスペインが追いつき、さらに間も無く追加点を決めてスペインがリードしました。フランスが攻めている時間もありましたが、結局は点を決めきれず、スペインが勝って決勝に進みました。スペインを応援していたので嬉しかったです。明日は準決勝のもう一試合、イングランド対オランダがあるので、またこのお店で見るかもしれません。

試合後はホテルに帰って休みました。

明日もミュンヘン観光予定です。